東広島の地域に密着した工務店

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東広島だからこそ、の赤瓦です

2019/07/02

「なぜ東広島は“赤瓦”? 実森建設が赤瓦をすすめる理由」

東広島は、赤瓦の家が多くあることでも有名な地域です。

東広島で生まれ育った私には、赤瓦の屋根に白い壁の家と、周りを囲む山々に田んぼの緑のコントラストは、小さいころから馴染みのある、当たり前の風景でした。

けれど、私が小学生の時、校長先生が朝礼で、「西条の赤瓦は、この地域の特徴ですよ。西条は盆地で、冬がとても寒いですよね。赤瓦は、寒さに強くて、たくさん雪が降っても落ちやすいんです。だから、この地域に赤瓦が使われるようになりました」と教えてくださり、当たり前の風景が、実はここならではのものだったんだ、と知りました。

今、こうして東広島で「建築」という仕事に携わると、東広島だから在る赤瓦の家は、東広島の気候風土に一番適した家、と言えるのだ、と思えるようになりました。

西条に限らずですが、盆地の冬は本当に寒いです。それは、大量の雪が降る寒さと言うより、何かと「凍てつく」寒さです。

西条に赤瓦の家が広まったのは、明治末~昭和初めのこと。明治時代半ばころから、現在の「酒都西条」と呼ばれるもととなる酒づくりが、西条で始まりました。秋に収穫した酒米を仕込むのは、真冬の寒い時期。大事な仕込み作業をしっかり行うには、丈夫な建物が必要です。造り酒屋の当主たちは、厳しい冬の凍害に負けない屋根を求めて、石州(今の島根県江津市付近)の瓦職人を呼び、瓦をつくってもらったそうです。(参考:石州瓦工業組合HP

石州瓦は、出雲地方で採れた来待石を使うため「来待瓦」とも呼ばれ、通常よりも高い1300℃の温度で焼くので寒さ(凍害)に非常に強いものです。また、西条は、瓦を造るのに適した土や来待瓦に似た色が出る釉薬の原料となる石が生産されていた、というのも、西条瓦という赤瓦が生まれたきっかけだったようです。

この瓦が一般住宅にも広がり、東広島には、山々や田の緑に赤瓦の屋根の入母屋・納屋・蔵・門などで構成された民家が点在する景観が生まれたのです。

歴史を振り返ってみると、東広島の赤瓦は、人々が、自然の中で、自然とともに、いかに生活できるかを考えた結果、と言えるのではないでしょうか?さらに言うと、赤瓦に限らず、昔の人びとの家づくりは、「自然の中で、自然とともに、自然を生かし、生活すること」という考えが根底にあるのだと思います。昔の人の家づくりは、「パッシブデザイン」(特別な機械装置を使わずに、建物の構造や材料などの工夫によって熱や空気の流れを制御し、快適な室内環境をつくりだす手法)そのものと言えます。

現在の建築の中にも、パッシブデザインが取り入れられようとしています。しかし、今のパッシブデザインは、発電機器や空調設備、断熱材など、機械や新建材を使って熱や空気の流れを調節するもの。実際は、電気を使って空気を循環させたり、人工的につくった建材を使用したりしていることが多いのです。これでは、「特別な機械装置を使わない」パッシブデザイン、とは言えません。

昔の家づくりは、木や土や草など自然からいただいた、自然に還るものを材料として使い、太陽の光や吹き抜ける風、木々の木陰などをうまく取り入れるつくりになっています。そう考えると、昔の方が、本当のパッシブデザインと言えるのかもしれません。

少し話がそれましたが…このように見ると、昔からの赤瓦は東広島の気候・風土に一番適した瓦だと言えます。

また、焼きによって少しずつ色が変化した赤瓦を組み合わせて絶妙な色合いに仕上げたり、屋根の傾斜角度や壁の色との調和をうまく取り入れることで、「和モダン」な雰囲気にもなります。

機能だけでなく、デザイン的にも赤瓦の可能性は無限大なのです。

だからこそ、今東広島で生活するお客さまにも、これから東広島での生活を考えておられるお客さまにも、さらに今だけでなく将来の東広島のまちづくりにも、私たちはこの赤瓦をおすすめしたい。赤瓦の良さを見直していただけるよう努力していきたい。そして独特な赤瓦の色を「ふるさとの色」として感じてもらいたいのです。

赤瓦が東広島に広がっていくことで、「東広島だからこそ」の個性的で美しいまち並み、ここにしかない景観がつくられ、このまちだから住みたい、ずっと住み続けたいと思える東広島がつくられていく。私たちは、そんなまちをつくっていきたいと思います。

スタッフK

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